LGBT

ゲイである僕はどう老いるのか

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2017年6月9日 7時0分 配信
引用元:AREA dot.

レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの頭文字をとってLGBT。
性的マイノリティーを表すために生まれ、定着しつつある言葉だ。
たしかに一定の理解は進んだ。
だが、LGBTとひとくくりにすることで、塗りつぶされてしまった「個」や思いがあるのではないか。
性的マジョリティー側は「わかったような気持ち」になっているだけではないのか。
AERA6月12号の特集は「LGBTフレンドリーという幻想」。虹色の輝きの影で見落とされがちな、LGBTの現実に迫る。

1990年代以降、等身大で生きる性的マイノリティーは確実に増えた。
いま、直面するのは「老い」だ。
ロールモデルのいない人生の荒野に彷徨いながら、生きている。

*****
筆者(42)は男性同性愛者です。
ごく身近な人だけに明かして生きてきました。
孫の顔を両親に見せられないのがつらいですが、自分自身を恥じたことはありません。

ただ、かつてのパートナーを自死で失ったことをきっかけに、激しく落ち込んだのち、ふと我に返りました。
この先の長い人生、どう生きていこう」。
見渡してみると、そこには昨今のムーブメントで自己にプライドを抱き始めた人たちの、老いに向き合っていくためのヒントを探る動きが芽生えていました。

通夜にも葬儀にも来ないでほしい。それから墓参りもしないで」。
親族からの強い意向を聞かされ、言葉を失った。
迷惑がかかるので詳細は書けないが、彼は生前、最後に筆者の携帯に電話をかけてきてくれ、いまだ結婚を強く迫る肉親への葛藤や将来への不安を伝えてきた。
筆者に何かできることはなかったか。

えっ、我々の生き方は「恥」なのか。
自死という事情もあるだろうが、親族の言葉には自分たちの生き方を否定された気がして、そこから長らく立ち直れないでいる。

●人生の「型」描きにくい

1990年代以降、日本や世界におけるゲイムーブメントが功を奏し、自らの性的指向と向き合って等身大の自分を生きる性的マイノリティーは確実に増えてきた。

だが、年齢を重ねて今、この先を生きていくためのロールモデルが、筆者を含め見えていない人が多いように思う。

親の生き方が自分に当てはまらない私たちは、人生の「型」が何であるか描きにくい傾向が強い。
ドラッグ、うつ疾患、果ては彼のように自死を選ぶ当事者が、一部ではあっても後を絶たないのは、漠然とした不安によるものもあるだろう。

老齢に差し掛かり、もがきながらも自らの人生と向き合う姿を発信している人に会った。
長谷川博史さん(64)。92年にHIV感染が発覚。
当初から実名や顔を出して啓蒙活動を行う一方、ゲイプライドをうたう雑誌を創刊し、現在の潮流をつくった立役者だ。

NPO法人「日本HIV陽性者ネットワーク・ジャンププラス」を創立し、陽性者の横のつながりを構築。
HIV感染症は恥ずかしい病気、可哀想な病気ではない」。
そんなスタンスで精力的に活動を続けてきた長谷川さんだが、還暦を過ぎてから、深刻なうつ状態に陥ったという。

こんなに長く生きる予定じゃなかった

治療薬の進歩でHIV感染症が「死ぬ病気」から「薬を飲み続ければ死なない病気」に変わったが、服薬の長期化で合併症が増えることも分かった。
長谷川さんは腎機能が悪化し、人工透析を受けている。
転居に際し、自宅から通える人工透析クリニックを探したところ、30~40軒からHIV陽性を理由に診療を拒否され続けた。
中には「なんで、うちなんだよ!」と不快に荒らげる声を電話口で聞いたこともあった。
そのうち受話器を持つのが怖くなり、部屋に閉じこもった。

これは、もう死ねってことなんだ」。
服薬もやめ、ウイルス量は跳ね上がった。

長谷川さんを慕う多様なセクシュアリティーの友人たちが異変に気づき、連絡を取り合って様子を見に行ったり、話し相手になったりしたが、その後も気分の落ち込みが続き、ある日、腸管からの内出血による貧血を起こし、自宅で意識を失って倒れてしまった。
その日はやっと見つけた人工透析クリニックの予約日。
時間になっても現れない長谷川さんを心配した看護師がHIV主治医に連絡、大家が駆け付けて鍵を開け、救急車で病院に運ばれ、一命をとりとめた。

●自分は「しくじり先生」

壊疽の進んだ右足を切断。
その時も友人たちが駆け付けて見舞った。
手術後のリハビリ施設や人工透析クリニックは、彼らが区の福祉担当者、病院のソーシャルワーカーと支援態勢を構築し、決めていった。
そのとき長谷川さんは「彼らに支えてもらっていることに気づいた。自分ひとりで悲劇の主人公やってる場合じゃない」。

だんだん気力がわいてきた。そして自分は「しくじり先生」なんだと気づいた。

「僕の失敗を見て学んでほしい。だけど同時に、しくじっても大丈夫だということを今、伝えなければ」

単身、高齢、障害、HIV。再び自分の今を伝える生き方を長谷川さんは歩み始めている。

●「任意後見契約」を推奨

人権法や同性婚が認められない中で、性的マイノリティーとしてのライフプランをどう構築していくか。
行政書士でファイナンシャルプランナーの永易至文さん(50)は「モデルケースがないなら、自力で作り出そう」と考えた。
上の世代は自身の性的指向を偽って結婚するのが当たり前だった。
社会に声を上げることも大事だが、それですぐに制度が変わるものでもない。
性的マイノリティーとして一生を生きることを決めた人が、「現実的に、今ある制度を使って自分の生活をよりよくする方法を模索したい」と思い、資格を取って事務所を設立した。

とりわけパートナー同士に推奨しているのが「任意後見契約」だ。
判断能力が衰える前に、あらかじめ自分でパートナーに医療や介護の選択や財産の管理を託すもので、契約は公正証書にする。契約を結んだ段階で、第三者に対し「私はこの人の任意後見受任者である」という法的な立場を主張できるようになる。
こうすれば、緊急事態の時に、親族でなくとも医療従事者にパートナーだと主張できる。

『医療における意思表示書』と合わせれば更に効果的」と永易さん。
事務局長を務めるNPO法人「パープル・ハンズ」ではこうした法務にまつわる相談のほか、老後に向けての勉強会、40代以降の当事者が集まる友達づくりの場も提供している。

●2人だけで入れる墓を

介護現場に長年従事してきたMさんには忘れられない経験がある。
Mさんは40代後半の男性同性愛者。
勤め先の施設で、女性言葉を使う男性利用者がほかの利用者から嫌がらせに遭っていた。

だがある日、その人がある男性利用者と部屋を行き来していることが分かった。
当初は嫌悪感を示した職員たちも、体が衰えてなお寄り添う二人に心を打たれ、「最後は静養室で一緒にしてあげよう」。

自分はゲイだと言えなかったが、職員の意識の変遷が今の自分の原点になった。
相手のありのままの人生を受け止め、一番近くで手伝う、そんな使命感を持っています

性的マイノリティーの「終活」問題に取り組む寺も出てきた。
證大寺(東京都江戸川区)では、「家族と一緒の墓に入れない」というパートナーの死に際する課題に不安を抱く当事者たちと、僧侶による座談会を開き、「家」中心の墓制度の現状や疑問などについて話し合いを進めている。
送迎バスの運転手も含めた全職員で、LGBTについての勉強会も重ね、昨年10月にはこれまでの大前提だった「次世代への維持継承」を不要とし、2人だけで入れるお墓を考案した。

住職の井上城治さん(43)は言う。

ここ数年でさまざまな問題が横たわっていることが可視化された。仏教に差別はない。人生の終わりを誰もが安心して迎えられる体制の整備は寺の務め

自死を選んだ彼へ、早くして逝った先達へ。
長く生きることになりそうな私たちを取り巻く世界は今、変わりつつあります。

(ライター・加賀直樹)

※AERA 2017年6月12日号

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