同性パートナー

同性カップル里親制度を大学生427人に聞いてみたらこうなった

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2017年5月12日 6時10分 配信
引用元:iRONNA

2015年、オバマ政権下のアメリカで、最高裁によって同性婚を認める判決が出された。
それを皮切りに、わが国日本では東京都渋谷区で同性カップルに対して結婚関係に準ずるパートナーシップ証明書が交付された。
また、同じ島国で日本と親交の深い台湾では同性婚を認めない民法は違憲とする声が高まるなど、近年LGBT(性的少数者)を取り巻く社会環境が大きく変わろうとしている。

今年4月、大阪市が30代と40代の男性同性愛者カップルを養育里親として認定したことがメディアを中心に大きく取り上げられ話題となっているが、男性同性カップルの里親認定に対して世論は賛成、反対の真っ二つに分かれている
ここでは、明確な「賛成」の立場からセクシュアル・マイノリティーの人たちが生きやすい社会が何なのか、いくつかの点から取り上げ考えていきたい。

2012年、アメリカで公開され話題を呼んだ映画『チョコレートドーナツ』をご存じだろうか。
この映画では、男性同性愛者のカップルがダウン症の子供を育てるという、愛に満ちあふれた人間関係が描かれているが、同性愛者であるという理由だけでカップルは裁判で親権を奪い取られ、子供は孤独の中で命を落とすという大変悲しい結末で映画は幕を閉じる。

しかし、この映画は同性カップルの直面する差別問題だけを取り上げているわけではない。
作中では、同性カップルの子育てを好意的に受け入れ、理解し、他者からの批判を恐れず彼らのために証言台に立つ心優しい友人たちも描かれている。
この作品で同性カップルは裁判に敗れ、自分たちの愛した子供の命まで奪われることになるが、彼らは決して司法に負けたわけではない。
なぜなら、彼らには自分たちを受け入れてくれる周囲の優しさあふれる理解があったのだから。

チョコレートドーナツ』のように、海外ではLGBTを主題として扱った映画作品が数多く製作されているが、日本でも数は少ないもののセクシュアル・マイノリティーの人たちを描いた映画作品がいくつか製作されている。
今年2月に公開された、トランスジェンダーの男性と異性愛者の男性カップルを描いた映画『彼らが本気で編むときは、』もそんな作品の一つだ。
監督を務めた荻上直子氏は、文芸誌『ダ・ヴィンチ』(2017年3月号)の中で自身のアメリカ生活を振り返りながら、日本では「確実に存在するはずのセクシャル・マイノリティの人たちになかなか遭遇しない」と、彼らの存在が見えないことに対する違和感について実直に語っている。

政治や司法の在り方を変えていくことも大切だが、荻上氏が言うように、彼らの存在を「見える存在」に変えていく必要がある
近年メディアで活躍するオネエタレントたちの具現する「笑いの対象」としての見える存在ではなく、苦悩の中で必死に生きる、「実話」としてみえる存在の彼らを映画や小説、マンガが描き、大衆に広めていくことで、彼らセクシュアル・マイノリティーに対する理解は深まっていくのではないだろうか

ここまで、映画の中で描かれてきた同性カップルの里親問題や差別問題について述べてきたが、LGBTの存在が過去にないほど頻繁にメディアで取り上げられる「現代」を生きる若者は、同性カップルの里親制度についてどう考えているのだろうか。
彼らの声を聞くべく、ある調査を行った。

5月26日、筆者が同志社大で担当している全学部生を対象とする「国際教養基礎論」の講義の中で、この講義を履修している18歳から23歳までの大学生427人を対象に「男性同性カップルの里親制度を認めることに賛成か反対か?」をテーマに記述形式のアンケートを行った(本アンケートでは、平常点に関係ない協力調査を前提に、学生には自己の主観的意見を実直に述べるようお願いした)。

結果は筆者が予想していた通り、427人中、賛成が344人、反対が83人
反対者の共通意見は、男女の役割を生物学上の「性別」で完全に二分化して捉えたもの、また「差別には屈服して我慢するしかない」と考えるものが多く見受けられた(以下、反対者の共通意見)。

「子供が学校でいじめられる」
「女同士のカップルは自然だが、男同士はBL(ボーイズラブ)の世界でない限り気持ちが悪い」
「自分の腹を痛めて生んでいない子供に愛情を注ぐことは難しい」
「男は仕事が忙しくて子育てをする暇がない」
「育児や家事は女性の方が得意である」

反対者の中で特に多かったのは、「子供が差別を受ける」とする意見である。
これは親側の「エゴ」で子供の将来が大きく変わってしまうことを危惧する世論の声を代弁しているかのようにも思える。
また、「休日に男2人が子供を連れて町中を歩いている姿を想像すると違和感を持ってしまう」とする意見も多くあり、「男は外、女は内」といった固定的な性役割を求める社会の声が若者世代にまだ一定の影響力を持っていることが伺える。
これまで家事や育児を担ってきたのが主に女性であったことを考えると、女性同士が子供を連れて町中を歩いている姿の方が自然に見えるとする意見はあって当然なのかもしれない。

さらに、反対意見の中で最も興味深かったのは「血縁関係」について「女同士なら精子バンクなどで精子を購入すれば実子を身ごもることができるのに対して、男同士ではそれができない」という意見が多くあったことだ。

日本テレビ系ニュース番組『NEWS ZERO』が5月22日の放送で「女性カップルの子育て」と題して同性カップルの問題を取り上げていたが、この特集からはある解釈ができる。
それは、女性を「生殖」や「出産」といった子育てに直結した存在としてみる偏見が社会にいまだ根強くあるということだ。
これが男性カップルに置き換えられた場合、「男はそもそも妊娠できない」といった身体観の下、男性カップルに対する「偏見」は女性カップルのそれよりもさらに増大すると考えられるのではないだろうか。

話を学生アンケートに戻すが、男女の違いや性差別に終始した反対側の意見と類似した意見は賛成側からもいくつか上がったが、賛成側の意見の多くからは、人間がいかに柔軟で、多様な生き方を選ぶことのできる生き物であるかを再度考えることを重要視したものが多く見受けられた。
ここに賛成側の共通意見もいくつか取り上げてみよう。

「男同士の方が経済力があって子供によりよい教育を受けさせられる」
「女同士はよくて男同士はよくないのは不平等だ」
「異性愛者の親のなかには子供を虐待したり育児放棄したりする親がいる」
「他人の目は気になるだろうが幸せを決めるのは他人じゃなくて自分たち」
「友人にゲイの人がいるから彼らにも幸せになってほしい」
「シングルマザーやシングルファーザーなど1人で子育てしている人たちだっている」
「女性同士は連れ子が血縁関係だが、男性同士ならそのようなしがらみがない」
「男同士だと子供を産むことができないので、より一層子供に愛情を注ぐはず」
「LGBTを否定すること自体、今の時代の流れにそぐわない」

これら賛成側の学生の共通意見で最も多かったのは、「男性同性カップルのほうが経済的な余裕がある」とする意見だった。
つまり、賛成側の「男性=経済力」と考える意見は解釈によっては、日本社会が依然「男性中心」であり、そこにおける女性の役割はあくまで従属的であると考えることができるだろう。
こうした賛成側の意見からも分かるように、男性カップルの里親問題に対する若者の理解は深まりつつあるように思えるが、彼らの理解のうちにはいまだ「男性=経済力」といった、男性中心社会の価値観が根付いているのだ。

また、賛成者の大半が女子生徒であったのに対し、反対者の大多数が男子生徒であった結果を考えると、男性側の意識を変えていくことがいかに重要であるかが分かる。
男性にこれまで期待されてきた性別的役割をいかに流動化し変えていくかが、今後男性同性カップルの里親問題の在り方を考えていく上で重要な課題となりそうだ。

筆者は最近、『週刊SPA!』の企画した「女性の専売特許を男性が体験する」特集に論者として参加した。
子供の弁当を夫が作って幼稚園の送り迎えをしたり、結婚式で新婦が花束を投げる代わりに、新郎が友人男性に向かって投げる「ブロッコリー・トス」を行うことが日常風景となりつつある現代において、これまで女性だけに限定されてきた性役割を男性が「体験」することは、自分とは違う他者を発見し、理解する上で重要な経験であるに違いないと考える。

しかし、里親制度に関して言えることは、命を預かり育てるという大変重要な役目を担うわけで、「体験」することとはわけが違う。
ペットの里親になることですら身辺調査や住宅訪問などさまざまな適性審査がある今日、人間の子供を育てる里親制度の審査基準が厳しく設けられることはあって然るべきである。

ただ、同性カップルであるという理由だけで審査基準を厳しくすることは絶対あってはならない
日本は先進国でありながら6人に1人の子どもが貧困や教育格差という現実に直面している。
そんな中、里親資格を異性か同性かだけで、てんびんにかけている場合ではないことを、少子高齢社会に生きるわれわれ国民は自覚する必要があるのだ。

ここまで話してきたように、男性同性カップルの在り方を描いた映画作品や、そういった作品を目にすることで固定概念から解放された場所で彼らを優しく見守ることのできる若者が増える現代、「弱者」が「強者」よりも柔軟で多様性に富んでいることが可視化される動きはより一層広がりを増すに違いない。
著書『フラジャイル―弱さからの出発』の中で編集者の松岡正剛氏が示唆しているように、権力を行使する「強者」はその権力を奪い取られることに恐れているだけのつまらない存在で、そんな強者たちからもろく生きることを強いられた「弱者」のほうがとてつもない力、未来の社会を変える力を内に秘めていると信じたい。

数週間前、書店で偶然目に留まり購入したマンガ本がある。
鈴木有布子(作画)と北川恵海(原作)の作品『ちょっと今から仕事やめてくる』だ。
日々の仕事に疲れ果てた新卒サラリーマンの青年は、駅のホームから身を投げて投身自殺を図ろうとするが、自分を理解してくれる同性の親友に命を救われ、最後は周囲からの批判を恐れることなく会社に自ら辞表を出す。

男性同性カップルであるがゆえに理不尽な批判を受ける方々には、批判を受けることはむしろ自分たちの存在を社会に示す好機であると考えてほしい

批判を恐れていても何も先に進まない」。

そう自分に言い聞かせながら、私は私で男性の新しい生き方を模索し続けたい。

【水島新太郎(同志社大学嘱託講師)】

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