LGBT

日本人はなぜ「男脳・女脳」に固執するのか

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2017年8月27日 配信
引用元:東洋経済ONLINE

ゲイの祭典で盛り上がるパリの夏

夏至が過ぎた週末、パリでは恒例のゲイの祭典、ゲイプライド(Gay Pride)が盛大に開催されます。
今年の6月24日に開催された同行事は、闘い続けての40’s Aniversary。

デモンストレーションは明るく、楽しく、果てしなくプライドをもって!
警察官、消防士、鉄道員、パーサー(船や飛行機の旅客係)、ユダヤ教徒、エトセトラ……。

祭りの山車のようにトラックやらバスをデコレーションし、レインボーフラッグで彩り、ボリュームいっぱいのミュージックで踊りまくります。そして、サポーターやフレンズが続くのです。

レーザー&マッチョ軍団、迫力のドラッグクィーン、リオのカーニバル、Baldy軍団……。
パレードは3時間も4時間も果てしなく続き、パリの大通り――サンジェルマン大通りやリボリ通り(年によりルートは変わる)を占拠します。
祭り気分でパリが沸騰し皆で楽しむ、なかなかの見物です。

世の中のスピードは速いものです。
「LGBT」という言葉が出てきたかと思ったら、「最近ではLGBTにQがくっついて、LGBTQと言うのよ」と、とゲイの友人から教わりました。
言葉だって成長するのです。

ご存じのようにLGBTとは性的マイノリティの方々――Lesbian(レズビアン:女性同性愛者)、Gay(ゲイ:男性同性愛者)、Bisexual(バイセクシャル:両性愛者)、Transgender (トランスジェンダー:身体上の性別に違和感を持った人)――の総称でした。
けれど、それだけですべてが包含されるものでしょうか?

自分の性を確固として自認できない人、あるいは性的嗜好がLGBTほどはっきりと定まっていないけれどカテゴライズできない人たちはどうなるのでしょう。
Qとは自分がよくわからないQuestioning(クエスチョニング)な人に、個性的な人を意味するQueer(クィア)も合わさった概念だとか。
その場その場で性が変わるXジェンダーの人もそうだし、倒錯的な性的嗜好をもった人たちも含まれると言うのです。

芸術とは、人間を表現することです。
名だたる音楽家、画家、作家などの芸術家たちがどのような性的嗜好だったかご存じですが?
ロリコン、耽美主義、SM嗜好などなど、変わった人たちのオンパレードです。
詩人で文芸評論家だったアナトール・フランスは言っています。
あらゆる性的異常の中でおそらく最も奇妙なものが純潔である」と。

あなたは心も身体も、衝動も情緒も、理性も思考も、自信をもって男性(または女性)でしかありえないと断定できますか?
私は「それは無理だ」としか言えません。
そうなると私も、Qですね。
オセロゲームではありませんが、Qの一手で“行ってQ”じゃなく“オールQ”になっちゃったわけ?!

生物学的な男と女の形状差は明瞭です。
発生学的な原型は女性(female)、そこから男性(male)が分化していきます。ホルモンでは男性ホルモン(male hormones)が先行し、酵素の働きで女性ホルモン(female hormones)となります。
直訳すれば、maleはオスでfemaleはメスですから、日本語はやわらかい表現をしますね。
でも、内分泌液を性別で名付ける意味があるかは疑問です。
人間の身体は――女性であれ男性であれ――2つのホルモンを併せ持ち、絶妙なバランスでキープすることで生命を保っているのです。

精神医学的に考えれば、男女は截然と分かたれる存在ではなく、それぞれの殆どが亜型と分類されます(男は純男の亜型であり、女は純女の亜型ということですね)。
まさにLGBTQの証明となります。

したがって、私の提案ですが、あえて名づけるとするならば、女性ホルモンは優雅(エレガント)ホルモン、男性ホルモンは勇敢(勇気)ホルモンとでもしたらいかがでしょう?

 

脳の男女差にしがみつくのは逃避でしかない

世の中では「おとこ脳・おんな脳」というフレーズがまだ流布しています。
脳の男女差についての英国での研究結果(2015)によれば、6000件を超えるMRIの解析などから、男女の脳に際立った違いはないと結論づけています。
どれも中間的でしかないと。
イスラエルの研究でも同様の結論です。

男女の脳差としては、脳梁の太さが挙げられますが、これは1980年代の論文における男性9人、女性5人によるデータからの結論です。
その後、追試による証明はされていません。

現代の「おとこ脳・おんな脳」で語りたがる風潮は、文化的風土にしがみついた価値観と、「男女は違っていて欲しい」という淡い希望の反映なのでしょう。
あるいは、人格の陶冶を放棄して、2つしかない集団のどちらかに逃げ込んで埋没することで安堵感を得るため、とも考え得るのです。

私は、「男女差を意識しない凛々しさ」を機会あるごとに訴えています。
男女差よりも必ず個体差の方がはるかに大きいのです。
男だから○○なのだ」「女なのだから○○しなきゃならない」などと一括りできるはずもありません。
自分を大きな母集団の一員と位置付けて、集団の大きさにもたれかかって安心するのは自己を貶めているのです。
似て非なるものを似非(エセ)と言いますが、似非科学である血液型別性格診断がなかなか廃れないのは、突き詰めていけば弱体化する日本経済の反映しているかのようです。

だからこそチャンスなのだ」と若い人には言いたいのです。
世界はモノクロではありません。
男が勇敢なのは当たり前、女が優雅なのも当然です。
そのうえで、「勇敢な女たれ!優雅な男であれ!」。
それこそ、センシュアルです。
これからの時代のあらゆる競争に打ち勝つキーとなるに違いありません。

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