LGBT

この国から「LGBTへの差別」をなくすために必要な2つのこと

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

2018年9月29日 6時10分 配信
引用元:現代ビジネス

当事者として「新潮45」を読む

(LGBTは)生産性がない」といった言説を中心に大きな批判に晒された、杉田水脈衆議院議員による「新潮45」への寄稿問題から約2ヵ月。

本人からの謝罪等の対応がない中、「新潮45」は一連の大バッシングは「見当はずれ」であるとし、10月号で「そんなにおかしいか『杉田水脈』論文」という特集を掲載した。

これがさらに炎上し、25日、新潮社から「新潮45」の休刊が発表された。

もともとは、杉田水脈議員による「子どもを産むかどうか=生産性」で人を選別する思想に多くの批判が集まったわけだが、今回の特集では、さらに暴力的な言葉でLGBTという存在を排除する意向へと広げる文章も寄稿され、非常に危険だと感じた。

杉田氏の擁護特集が組まれることを知ったのは、発売前日の知人のFacebook投稿からだった。

これだけ批判にさらされても「何が問題なのか」という姿勢だったことに驚きつつ、まずは読んでみるしかないと本屋に足を運んだ。

新潮45」を手に取ろうとした時、たまたま隣に立っている人もこれを立ち読みしていた。
この人はLGBTについてどう思っているのか、杉田氏と同じような考えを持っているのだろうか、それともどんな内容なのか確かめにきたのだろうか…と想像してしまい、相手を決めつけるのは良くないと思いつつも、少し足が引けてしまった。

近くのカフェに入り一通り読んでみて、想定より酷い内容に心が荒んだ。
特に小川榮太郎氏の文章については、なぜこういう言い方が出来てしまうのだろうかと、沸々と怒りが込み上げ、心がすり減っていくのも感じた。

再び起きたインターネット上の炎上には、やはり杉田氏や今回の特集に賛同する意見も多かった。

中には「LGBTは病気だ、異常だ、気持ち悪い」といったような心ない発言も目立ち、SNSを見るのが怖くなった、夜眠れなくなったという知人もいた。
同じように傷ついた当事者も多いのではと感じる。

一番懸念することは、この特集やSNS上での批判の応酬を見て「LGBTはやっぱり生産性ないよね」「気持ち悪いよね」と思っている人に言葉を与えてしまったり、「LGBTの話題って何か怖くて触れたくないね」という人が壁を作ったりしてしまうこと。

それが、現実にその人たちの周りにいるLGBTを傷つけることにつながってしまうのではないかということだ。

一方で、周りを見渡してみると「新潮45」に対して批判の声をあげ、連帯する人も明らかに増えたことを実感した。

新潮社内でも、新潮社出版文芸のツイッターアカウントが「新潮45」に対する批判をリツイートし、新潮社から出版している作家やクリエイターからも声があがった。
新潮45」を店頭に置かない決断をした書店もあった。

そして21日、新潮社は、謝罪はなかったが「あまりに常識を逸脱した偏見と認識不足に満ちた表現が見受けられました。弊社は今後とも、差別的な表現には十分に配慮する所存です」という声明を、25日には「新潮45」の休刊を発表した。

休刊という判断について、これ以上差別的な言葉が生み出されなくなることに安堵しつつも、一方で疑問も感じた。

問題に蓋をするのではなく、なぜこういった特集が組まれてしまったのか、再び繰り返さないために必要なことは何かを提示した上で、より良い言論を探って欲しかったからだ。

夢物語なのかもしれないが、本当に”問題があった“と感じているのであれば、言論で示して欲しかった。

LGBTをはじめ、性の多様性に関する世の中の認識は過渡期と言える中、どうすれば当事者が攻撃にさらされず身を守りながら、漸進的に世の中の認識を変えていけるだろうか。

その鍵となるのは、やはり第一に「法整備」、そして「対話の広がり」だと考える。

「LGBTを排除したい」ためだけの暴力

まずこの特集を読んで、特に驚愕したのは文芸評論家の小川榮太郎氏による「政治は『生きづらさ』という主観を救えない」という文章だ。

人間ならパンツを穿いておけよ
性には、生物学的にXXの雌かXYの雄しかいない。レズしべとかゲイしべというのは無い
彼ら(痴漢症候群の男たち)の触る権利を社会は保証すべきではないのか」など、目も当てられない表現が頻出する。

小川氏の本旨は「異性愛者の結婚は神聖なもので、それ以外の性のあり方は”嗜好“であるから、なんでもかんでも権利権利と政治に繋げずに、ひっそりと生きていなさい」という、異性愛の特権性を保つために、ある種今までも散々言われてきたことと同じではあった。

この考え方自体が差別にあたるのだが、しかし、今回はさらに、これが適切でない知識や憶測、侮蔑的な言葉で肉付けされていた。
こうした不当に誰かを傷つけているものを私は言論とは呼ばないのではないかと感じた。

同性婚は少子化につながり、社会が崩壊する?

発端となった杉田氏も含め、「LGBTは子どもを作らないから生産性がない、だから税金を投入する必要はない」という趣旨には、「LGBTを社会が受容する、とりわけ同性婚を認めると少子化につながるから、社会が崩壊する」という背景があるのだろう。
こう思っている人は少なくないのかもしれない。

そもそも「子どもをつくること=生産性」と捉えて人を選別する優生思想が危険なことであることは、最初の杉田氏の寄稿文に対してこれまでも散々論じられてきた。
これは大前提である。
しかし、実際に子どもを持ち、育てるLGBTもいることも指摘したい。

民間企業の調査ではあるが、LGBTは日本の人口のうち約8%程度いると言われている。
また、これは日本だけでなく、例えば世界中どの社会でも数パーセント程度存在する。

LGBTを認めると、LGBTが「増える」と思われていることもあるが、実際には増えるのではなく「見えるようになる」だけだ。

もうすでにLGBなどの同性カップルや、戸籍の性別を変更していないトランスジェンダーで戸籍上は同性というカップルは存在している、ともに生きているのだ。
その中には子どもを持ち、育てている事例もある。
統計的に同性婚が少子化につながっているという根拠はない。

同性婚は「婚姻制度の廃止」に行き着くという主張も特集の中にはあったが、確かに「婚姻制度」をどう考えるかについては、様々な観点から議論すべきことだ。

平等という視点から私は同性婚を認めるべきと考えるが、例えばフランスのPACS(民事連帯契約)など、そもそも婚姻制度とは別に、同性間でも異性間でも双方の権利を保障するパッケージをつくる場合もある。

イギリスでも今年6月、同性間だけが利用できる登録パートナーシップ法を異性間でも利用できるようにする最高裁判決が下った。

両国とも同性婚も認められており、本来同性婚の前段階的にパートナーシップ法が作られてきた経緯があるが、現在は異性カップルも、婚姻ではなくあえてこちらの制度を利用する人が出てきているのだ(一般的にパートナーシップ法は婚姻と比べると多少法的な権利は制限されているため、同性婚のない状態でパートナーシップ法だけ作ることは、不平等を温存することになるが)。

さらに、フランスでは出産・子育てと就労の両立支援を強めることによって1990年代以降出生率は大幅に回復している。
その間PACSや同性婚も認められており、同性婚が少子化につながるとは言えないだろう。

そもそも「二人」という単位を法的に保障する婚姻制度ではなく、「個人単位」で社会から保障されるよう制度を整えることも考えられる。

日本では「できちゃった結婚」という言葉に象徴されるように、子どもを持つことと結婚は直結する雰囲気があるが、すでに異性・同性問わず、婚姻という形をとらずして子どもを育てている人が多い国もある(子どもの養育に関する権利・責任の法律の状況にもよるが)。

こうした点において同性婚の是非を議論するのは適切だが、それが「少子化につながる」「社会が崩壊する」とつなげることは無理があるだろう。

LGBT差別解消法に罰則規定はない

特集の中でもう一点だけ反論したいと思ったのは、元参議院議員の松浦大悟氏の論文だ。

松浦氏は杉田氏は情報不足で誤解があるとしつつ、杉田氏を糾弾しても保守層に声が届かずLGBTへの理解は深まらないと指摘、一連の抗議はやりすぎたと批判した。

また、松浦氏は、野党を中心に進められているLGBT差別解消法は、罰則規定があり心の中の状態にまでペナルティを科す、一方与党のLGBT理解増進法は、人権教育や人権啓発などを通じて性的少数者への理解を深めていくと説明した。
しかし、これは誤りである。

LGBT差別解消法に罰則規定はなく(守秘義務の漏洩や虚偽に対するものはあるが)、禁止しているのは性的指向や性自認を理由に会社をクビにされたり、サービスの提供を拒否されたりするといった差別的”取扱い“のことだ。
対象は行政や事業者であり、個人の表現については禁止していない。

ただ、不当な差別的取扱いを禁止する法律ができれば、差別的な言動を予防する効果も果たすだろう。

理解を漸進的に進めることは当然必要なことだ。

しかしいま必要なのは、誰か――今回の特集における小川榮次郎氏のような人――が、一般の社会の中で、性的指向や性自認について偏見に基づく理由で誰かの権利を侵害した際に、当事者がちゃんと守られるよう、「差別をしてはいけない」という基本的なルールを示す法律をつくることにあると私は考える。

「感情でついていけない」はある

ただ、松浦氏の主張の中で「変革のスピードが早すぎると、人間の感情はついていけません」という点については、考える必要があると私も思う。

しかし、今回のような杉田氏の寄稿文や「新潮45」の擁護特集に対して、マイノリティが声をあげる度に「冷静になれ」「相手に届くような言葉でお伺いを立てろ」と諭されてきた。

どれだけ足を踏みつけられても「お願いです、その足をどけてください」と言い続けないといけない。

これまでもずっと「新潮45」のような言説に対して声を続けた人がいるのに、その声に呼応し、連帯する人が増え、社会にインパクトを与えるようになった途端「やりすぎだ」となることには疑問を覚える。

私は怒りで声をあげる人に「落ち着け」ということはできない。

一方、今回の杉田氏の寄稿を発端とした一連の騒動の中で、性の多様性に関する認識が過渡期であるからこそ、考え続けなければいけないことがある。

それは、どうしたら当事者が、自分の力ではどうにもできない差別的取扱いを受けた時に身を守れる方法を担保するかということ。

そして、LGBTの存在を身近に感じておらず、「頭でわかっても心が追いつかない」と、無意識に差別的な言葉で当事者を追い詰めてしまう人を繫ぎとめ、ゆるやかに連帯していけるかということだ。

あなたの隣にもいる大切な人の話

鍵となるのはやはり「差別をなくす基本的なルール」と、「対話が広がること」だと考える。

いまだ、職場でゲイであることを打ち明けた際、それだけで部署を変えられたり、解雇に追い込まれたりする事例もある。

アウティングという本人のセクシュアリティを同意なく職場中にバラし、にもかかわらず飲み会で「彼女いないの?童貞なの?」と聞くなどハラスメントを繰り返す職場もある。

トランスジェンダーであることが理由で面接を打ち切られるといった事例や、レズビアンであることを伝えても「男を知らないからだよ」と上司に言われ恐怖に晒される当事者の声をいくつも耳にしてきた。

大阪では、40年以上連れ添った同性パートナーの死後、パートナーの親族から火葬の立会いを拒否され、財産も奪われてしまったことに対する裁判が起きている。
法的な関係にないことで不当な差別を受けているのである。

こうした、自分の力ではどうにもならない状況に置かれている当事者が平等に扱われるために、まずは差別をなくすための法律が一刻も早く整備されてほしい。

それに加えて、対話の広がりを期待したい。
基本的な部分に立ち返るが、杉田氏を発端とする「新潮45」の一連の騒動は「架空のLGBTという人」の話をしているのではなく、あなたの隣にもいる大切な友達や、家族や、同僚や、仲間の話をしているのだ

ひとりひとりの顔を思い起こさずに、「LGBTは生産性がない」「人間ならパンツを穿いておけ」と言い切れるのは、やはりひどく暴力的だとしか言いようがない。

今回の騒動は、日本で根強く差別的な考えがあることの証左となった。
一方で、以前はこうした差別的な考えが明るみになっても特に話題になることすらなかった中、怒りや批判の声をあげる人たちの多さに、LGBTに関する世の中の変化も感じた。

残念ながら、「新潮45」は、今回の問題について検証せず、蓋をするように休刊という判断が下った。

部数低迷、固定された客層、編集体制の不整備など、さまざまな要因はあってのことだと思うが、対話を閉ざすこととなってしまった。

さまざまなスタンスの違いはあれど、相手を不当に傷つけるような差別的な言葉ではなく、建設的な議論を重ねる機会は持たれるのだろうか。

そして、ことの発端となった杉田氏本人からの応答はいまだに何もない。
一連の騒動を本人はどう見ていたのだろうか。世の中は少しずつ変わっているねと終わらせるつもりはない、引き続き批判的に見ていく必要がある。

それと同時に、今回の騒動を傍観する市井の人々が、LGBTや性の多様性を身近に感じ、できれば自分ごととして考えることができるよう、また、「生産性」で誰かを選別するようなことのないよう、今後も生身の人間による対面での対話を広げていきたい。

今回の騒動が分断ではなく、世の中の議論を加速させ、対話が広がる方向へとつながってほしいと切に願う。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る