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ゲイの学生が同性に抱く、本当の「想い」とは

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2018年11月22日 配信
引用元:現代ビジネス

僕の初恋の相手は、男だった

もしも、好きになった人に「好き」と素直に言える学生時代だったなら、人生はどんなふうに変わっていたんだろうなと、大人になった今でも思うことがあります。

それは中学校に入学して間もない頃。まだ桜の木が花びらを落としきる前の、あたたかな日。

校舎と体育館を繋ぐ渡り廊下で、ある男子生徒とすれ違いました。
背が高く、中学生とは思えない大人びた体格、少し明るい色の髪と、日本人離れした顔立ち。

わあ、かっこいい先輩だな」と思ったのだけど、上履きの色が同じで、彼も入学したばかりの同学年の生徒だとわかりました。

同性をかっこいいと思うくらいは、どんな男性にもあるはず。
けれど僕は、それから来る日も来る日も、違うクラスにいる彼のことばかり考えていました。

彼のことを知りたい。
僕のことも彼に知ってほしい。
話をしてみたい。
仲良くなりたい。

そうか、これを『』と呼ぶのか」と理解するまでに、そう時間は掛かりませんでした。

男性は女性を好きになるのが基本だということくらい、中学生にだってわかる。
それなのに、なんで?
僕っておかしいのかな?
男の子を好きになる僕は、本当は女なのかな?
でも、自分はあくまで男性で、女の子になりたいとは思わない。
じゃあ、なんで?

鈴掛真さんは、デビューと同時にゲイであることをカミングアウトした「オープンリーゲイ」の歌人だ。
最新刊の『ゲイだけど、質問ある?』は、「ほんとうにゲイなの?」「なんで男なのに男を好きになるの?」「ノンケを襲いたくなる?」「同性から告白されたらどうしたらいいの?」等々、数多くの興味本位の質問に、まっすぐにクリアに鈴掛さんの解答が描かれているエッセイ集だ。
その発売を記念して、4回にわたって鈴掛さん体験を通じて「ゲイというもの」を執筆いただく。
第1回は、初恋にはじまる、学生時代の恋愛について。

「男だから」じゃなく、「彼だから」恋をした

もしも誰か大人に相談していたら、「思春期に起こる同性への興味は、一過性のものだ」と一蹴されていたでしょう。

けれど、少年たちが成長過程でお互いの肉体に興味を持つ感情と異なることは、明らかでした。
そんな、身体だけに向けられた興味じゃなく、誰でもいいわけじゃなく、数多いる男子生徒の中で、僕がそんなふうに想いを寄せたのは、彼一人だけでした。

あるいは「男性は女性に恋をするものなんだ。同性に抱くそんな感情が、恋であるはずがない」って、医者に助言を求めようと精神病院に連れて行かれたかもしれません。
いいえ、僕には、異性同士が惹かれ合う恋のように、これもまた『』である確信がありました。

自分のことなんだから、誰かに頼らず自分で調べよう」と、僕は図書館やインターネットであらゆる文献や記事を読み、世界には『同性愛者(ゲイ・レズビアン)』と呼ばれる人たちがいて、自分もまたゲイである確証を得ました

ひとまず、得体の知れなかった自分という人間が何者であるかをカテゴライズできて、安心したのを覚えています。

男女みたいに、普通に恋愛できたらいいのに

好きな人に想いを伝え、お付き合いできるのって、当たり前なようでいて、なんて素敵なことなんだろう、と思う。

僕の父と母は、中学生の頃に初めて付き合った同士で結婚しています。
還暦を過ぎた今でも仲良しで、夫婦喧嘩は一度も見たことがありません。

そんな両親に育てられたものだから、我が家はとても朗らかでオープンな家庭でした。
兄も姉も、付き合った相手を家に連れて来るのは当たり前で、よく兄の彼女や姉の彼氏を交えてみんなで食卓を囲みました。

だからこそ、自分にはそれができないんだと悟って、中学校での初恋を経験して以来、僕は家庭内で恋愛について一切くちにしませんでした。

兄ちゃんや姉ちゃんと同じように、異性を好きになって、付き合って、家族に紹介して、いっしょに食卓を囲むことが、僕にはできないんだな、って。
今ではオープンリー・ゲイとなって、家族も作家活動を応援してくれているから、あの時できなかったことをいつかはしてみたい、と思うのだけど。

好きになった人に告白して、付き合って、恋人になる。
手をつないだり、キスしたり、セックスしたりする。

心身が成熟するにつれて、同世代が当たり前のように経験していく恋愛のプロセスなのに、同性愛者はそのスタートラインに立つこともできない。
異性に対しても、同性に対しても、誰かのことを好きだと思う感情は、同じなはずなのにね。

好きな子と、仲良くなろう

元々は、渡り廊下ですれ違っただけの、名前も知らなかった初恋の相手。
話しかけることすらままならず、片想いを伝えることなんて、とてもできない。
けれど、中学1年の僕は、ある目標を立てました。

『あの子から、一番の親友と思ってもらえるような仲になろう』

共通の友達を介して話してみたり、休み時間に彼のいるクラスへ遊びに行ったりして、僕は中学校の3年間、とにかく彼との距離を縮めることに努めました。
もちろん、勉強もがんばったけどね。

そして3年生のとき、その目標どおり、彼から「いっしょの高校行こうよ」と誘ってもらえるほど、僕らは本当の親友になっていました。
何事も、やればできるもんだ。
そしてその約束どおり、僕らは同じ高校に進学し、しかも1年生で同じクラスになったのです。

遠い片想いの相手だったのに、手を伸ばせば肩に触れられる距離にまで近づいた、幸福な高校生活。

けれど、親友になれたことの代償もある。
彼から、片思いしている女の子の相談をされるようになりました。
そんな日がいつかやって来るような気はしていたのだけど。
それが元々、男同士の友情のあるべき姿なのだし。

決して気持ちを打ち明けなかった

彼は親友として心を開いてくれているのに、僕は自分の恋心をひた隠しにして、彼の近くにいる。
まるで偽りの友情で彼を騙しているような気がして、ひとり罪悪感に苛まれたりもしました。
自分が望んでたどり着いた、彼との距離だったのにね。

こんなに苦しい日が続くのなら、いっそ告白して恋を終わらせようかと、何度も思いました。

けれど、僕が選んだのは、決して気持ちを打ち明けず、彼の隣にいることでした

叶うだけが恋じゃない。
付き合えるだけがすべてじゃない。

たとえ恋人になれなくても、確かに芽生えた自分の気持ちを噛み締めて、相手の幸せを近くで見守ることだって『』と呼べるのはないか、と思ったから。

高校2年生で別々のコースに分かれて、少しずつ疎遠になるまで、僕の初恋は、確かに彼に向けられていました。

答えは、決して1つじゃない。
答えだったはずなのに、途中で間違いだったと気づくこともある。
何が答えかなんて、本当は誰にもわからない。

恋ってのは、なんて難しいんだろう。

ゲイの学生から見た「学校」という世界

片想いの相手に気持ちを伝えるのは、男女の場合であっても勇気のいることだろうけれど、同性愛者にとっては、切れるかもしれないぼろぼろの綱で橋の上からバンジージャンプするようなもの。

ゲイだと知られたら、もう友達としてもいられなくなるかもしれない。
そうしたら、まさに奈落の底。

みなさんは、一橋大学ロースクールのアウティング事件を覚えていますか?

2015年、男性の同級生に告白したAくんは、その相手から、Aくんがゲイであることと、もう友達でいられないことを、友人たちが見ているLINEグループで暴露され、校舎から身を投げて亡くなりました。

そのLINEグループでは、過去にも「同性愛者は生理的に受け付けない」という話題になったことがあったんだとか。

同性愛嫌悪のほとんどが、この「生理的に受け付けない」などの感情に集約されています。
それってとても恐ろしいことだな、と思う。

だって、何年も掛かってどれだけ友情を育んでも、ゲイだとわかった途端、それまで育んだ友情が、相手にとってはすべて無意味になってしまう。

「僕だから」じゃなく、「同性愛者だから」嫌われてしまう。

僕がどんな性格かとか、これまでどんなものを培ってきたかで評価してほしいのに、ただゲイというだけで、問答無用で拒絶されてしまう。

性別・人種・国籍・宗教・そしてセクシュアリティ。
何か1つ当てはまるだけで誰かを拒絶してしまうのは、相手がそれまで積み上げてきたその他すべてを否定することになる。

ともすれば、人はどこまでも冷酷になれる。
そうして様々な悲劇が、人類の歴史上、世界中で起こってきました。

だから、差別はとても恐ろしい

自分をカモフラージュしなければいけない檻

僕は6年前に作家デビューしたタイミングで、家族にも友人にも同性愛者だと隠さないオープンリー・ゲイとなったわけだけど、学生の頃は、とてもじゃないけど学校でカミングアウトなんてしようと思いませんでした。

1クラスに40人も生徒が集まれば、全員と仲良くするなんて不可能。
ゲイを受け入れてくれる子がいてくれたとしても、「嫌だ」「生理的に受け付けない」と思う子がいれば、そんな教室に毎日通おうなんて思えません。

教師だって、クラス内で仲間外れやいじめがあっても、我関せずと黙認していることなんて、ざらにある。
そもそも同性愛者の子どもへの教育に知見のない教師がほとんどだろうし。

色んな先生が教えてくれる数多の教科から、様々なことを学べるはずの学校だけど、女の子が好きなふりをして本当の自分を隠していた僕にとっては、とても小さく、窮屈な世界に思えました。

いつか、こんなふうに自分をカモフラージュしなきゃいけない檻の中から抜け出せたなら、って。

きっとAくんもそんなふうに、外の世界への脱出を願っていたのではないでしょうか。
学校という、狭いコミュニティからの脱却。セクシュアリティをひた隠す日々からの解放。そして、友人への片想いの告白。

一橋大学の悲劇は、決して繰り返してはならない。

だって、もしも女性に告白された男が「あの子に告白されたんだけど、生理的に受け付けねえわ。マジありえねえ」なんて豪語していたら、誰もが非難するはず。
男女だったらきっと誰かが守ってくれるのに。
それがただ、同性だったというだけで。

異性に対しても、同性に対しても、誰かのことを好きだと思う感情は同じだということを、誰もが当たり前に感じてくれる社会になったらいいんだけどな。

100人に3人がゲイである昨今、LGBTを「知らない」より「知ってる」ほうがよくない?
ーー隠す必要がなければ「カミングアウト」も必要ないという思いのもと、「ゲイって心は女なの?」「ゲイって趣味じゃないの?」「ゲイの息子を持つ親として大切なことは?」「ゲイは性に奔放ってホント?」等々の素朴な疑問に、真正面から答える短歌&エッセイ集。

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