【第5回】毎日が舞踏会

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る

志乃です。

私は社会生活とプライベートにはうっすらながら壁を設けております。

嘘をつくというところまではいきませんが、必要以上に、全ての人にすべての自分をさらけ出すことが必ずしも「正直こそ全て正しいので誰もが受け入れる」にはならないのが、人の世。

核心に迫られそうになった際、それが「自分としては伏せておきたいこと」などは、趣味の世界にすらあるので、それでもいいとは思うのですが、中には自分のことをさらしているのだから同じように出せと、主観で一方的にごり押しをしてくる人もおります。

大体この手の物言いをする人の「さらけ出す」人生は、薄っぺらすぎてさらさなくても透けて見えてしまうことのほうが多い気もしますが…

心の自分になる。
本来はそちらが自分自身なのだが、世間的には真逆だったり、理想論的な言われだったりと、不本意であるケースは多く見受けられます。

また、ある程度は自分のなかで「TPOと社会的認知に合わせた割り切り方」で「ゴッコ遊び」のように普段を過ごし、休日や自分の時間の時にだけ自分の本来の姿を表すことだけである種の納得ができる場合(人や程度にもよるでしょうが) 、それで良しとする方も一定数いるかなと思います。

どなたの方法も、「その人に負担にならない方法」であるのなら、それでいいと思います。

いいたいなら言う。隠すことのストレスよりは、多少偏った見方をされたほうがいいという人。
真逆の方もいるかと思います。
どうせなら、色眼鏡で見られるくらいなら、秘密にしてこっそり、理解が得られるところだけで自分をさらけ出す、という方法もありだと思います。

私自身は、あまり普段の生活の中ではジェンダーの押し付けられを感じないため、「仕事」と「その他」くらいなおおざっぱな分け方で生活には支障がありません。

私の基準ではありますが、戸籍上の性別で事が運んでしまう仕事や書面に関して何か物言いをするのは、作った人に対してならまだしも、大半の場合は「紙切れに怒っている」ように見えてしまいます。

仕事などは、特に何かの技術だったり、「その与えられた、または探してくる仕事に必要なスキル」に対して必要な部分だけ開示していればよいのではと。もしここで個人的な説明をして仕事を進みにくくしてしまうようなら、少なくとも社会に出て○十年の私としては「食べていくためでもあるし、相手のためでもある。それを個人の意見を通すために進まなくさせるくらいなら、仕事をしに来ないほうがいい」と思います。

ものすごく雑にとらえられるかもしれませんが、

「社会で多くの人が経済を回したりして初めて社会が機能し仕事になっていく」という理屈に対して感覚で物事を返答しようとする姿は、感情論としかとらえられず私は嫌いです。

「カツラ」のことを「ウィッグ」と呼んで優しく見守ってほしいような感じです(ずれてたらそっと気が付かないふりをして直してあげてください)

では、また次回

チャオチャオ~

twitter 志乃へのご感想・ご意見はコチラ

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket
  • LINEで送る